会社を辞めた理由
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僕が20代の時、有名な芸術品のオークション会社で、現代絵画の専門家とし
て働いていた。僕の将来は光り輝いていた。選択さえ間違わなければ、将
来は大いに出世するだろうと周りからは言われた。
ある朝目覚めると、僕の目は見えなくなっていた。
『ソングライン』(16ページ)
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医者には、「絵を見る時、目を近づけて過ぎていることが原因。たまには、
遠くの地平線でも眺めたらどうか」と薦められます。そこで、ブルースはア
フリカのスーダンへ旅立ちます。視力はスーダンに到着するとすぐに回復。
帰国後、オークション会社の「サザビーズ」を辞めてしまいます。
文中には退職の明確な理由は語られていません。どうも、オークション会社で
の仕事に嫌気がさしてしまったようです。優秀な人材だったようなので、美術
品に関する知識は勿論のこと、販売実績もずば抜けていたのでしょう。
でも、僕には目に見えないソングラインを巡りオーストラリア旅をするブルー
スの姿と、物にこだわる美術品販売の仕事が、どうしても相容れないものに
感じられるのです。
彼の著作の中で、唯一映画化された作品があります。
『マイセン幻影』(1993年)。
(原作は『UTZ』、邦題は『ウッツ男爵-ある蒐集家の物語』)
陶磁器に詳しい祖母の影響を受け、マイセン磁器の収集家となったフォン・
ウッツ男爵のお話し。舞台は社会主義国時代のチェコ。
僕が東欧に駐在していたのは、社会主義体制が崩壊した直後でしたが、まだ、
街の中にも、人の中にも旧体制の香りがしっかりと残っていました。
映画が撮影されたのもおそらく同じ時期。ヨーロッパの歴史をそのままに、
古く美しい街並みも、どこか地味で暗く、重く抑圧されていたチェコの雰囲
気が、映画にもしっかりと映し出されています。
東欧の人々特有(?)の地味だけど気品高いウッツ男爵の姿が、いざ価格交渉と
なると、芸術品への所有欲、物欲がその気高さをどんどんと崩して行き、滑
稽にさえ見えてきます。
ところが、死期を間近に感じるようになると、数百万ドルといわれた彼のコレ
クションを、妻のマルタに言って全て床に叩きつけて壊してしまいます。そ
れは、死を間近に感じ、物にこだわることの儚さを悟ったからのようにも思
えます。
僕は、このウッツ男爵の姿に、将来を嘱望されながらもオークション会社を
退職したブルースの姿が投影されているのではと思います。
形ある物ではなく、目に見えないものに価値を追い求める生き方。
それが、彼の「ソングライン」を巡る旅に繋がっているような気がします。
そして、10年前に僕が会社を辞めた時、あの時追い求めていたものはなん
だったのだろうか。もう一度思い返しています。
ふとしたきっかけで、ある人のことが心に残り、その人のことを深く知りたくなることがあります。

