物悲しさを感じさせる理由

チャットウインはアングロサクソン語で、Winding Paths(曲がりくねった道)
という意味。本当に偶然、僕は「Winding Path」というタイトルの彼
の写真集があるのを見つけてしまいました。
今日は英会話のプライベートレッスンの日。写真家でもあるヘルナンデス先
生に、この写真集を見てもらうことにしました。ETCに彼女を紹介してもらっ
たのは、プロのカメラマンと写真について話しをしてみたいと言う理由もあ
ったからです。
スーダンの砂漠、ナスカの地上絵、イスタンブールの魚市、ネパールのショー
ウィンドウ、アフガニスタンを走るトラック、モスクワの街並み、バリの寺
院、西アフリカの人々、パタゴニアに住む親戚との写真…
彼が旅をした場所にも原因がありますが、どの写真も砂っぽく、乾いた感じ
がしました。また、どことなく寂しさを感じるのです。
「この写真を撮ったのはいつ頃かしら?」(ヘルナンデス先生)
彼が旅をしていた時代、60年代から80年代の写真なのでしょう。
「その時代のフィルムって、こんな感じに写るのよ」(ヘルナンデス先生)
僕たちは最近、デジタル写真に目が慣らされてしまっているかもしれないと
のこと。デジタル写真は、色にとてもインパクトがあって、一目見ただけで
「うわっ、凄い」と感じるようなものが多いのだそうです。空は、とても青
くって、草の葉は、奇麗な濃い緑で。
一方、彼が写真を撮っていた時代に使われていたフィルムのデジタル写真に
比べ控えめなの色合いは、知らず知らずのうちに、僕たちにその時代を、その
時代の出来ことを思い起こさせているのかもしれない。そして、懐かしく
とも、決してそこへは戻ることができないその時代の記憶は、どこか物
悲しく、郷愁を感じさせる理由になっているのかもしれません。
「私は彼の写真が好きよ。とても、プレイン(plain)で。
これはこんな角度で撮ろうみたいな作為がなくて。
彼が見たまま、そのままの写真。」(ヘルナンデス先生)
(こういう写真を表現する時に、プレイン(plain)という単語が使えるんで
すね。しかも誉め言葉として。)
どう見せよう、どう撮ろうという撮り手の作為の無い写真。そんなものさし
でもう一度、僕の周りにある写真を見直してみました。
すると、殆どの写真から作者の狙いが、うるさいくらいに聞こえてくるよう
で。なかには耳を塞ぎたくなってしまうような写真もあって。
んっ? この場合、耳ではなくて、目かな??
チャットウインの写真は、相変わらず無音。いや、耳を澄ましてみると、楽
しげではあるけれど、彼の静かな声だけが聞こえてくるようです。そして、
その声に、僕はもう一度寂しさを感じてしまうのです。
ふとしたきっかけで、ある人のことが心に残り、その人のことを深く知りたくなることがあります。
